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「都立高校入試へのスピーキングテスト導入」に伴うアピール


 東京都スピーキングテストに出題された学習指導要領を超えた問題! 私たち新英語教育研究会・同東京支部も一員である、都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会では、この問題を重大なものとして受け止め、ただちに東京都教育委員会と都教育長に、この出題に対する見解を撤回し、この出題を含み、数々の当日トラブルのあったESAT-Jの入試活用の中止を求めるアピールを発表します。
 アピールの最終文責は新英語教育研究会事務局長・東京支部の柏村みね子にあります。附録については、実際の東京都教育委員会と都教育長の発言に基づき、 久保野雅史氏(神奈川大学外国語学部教授)が作成しました。みなさん、ぜひこのアピールを広げていただけないでしょうか。どうぞよろしくお願いいたします。
「東京都スピーキングテスト(ESAT-J)における学習指導要領を超えた出題について」
          
ただちにESAT-Jの入試活用の中止を求めます!


都立高校入試へのスピーキングテスト導入の中止を求める会

 2022年11月27日、東京都は中学3年生約8万人を対象に、「話す力」のアチーブメントテストであり、都立高校入試に加点される英語スピーキングテスト、ESAT-J(English Speaking Achievement Test for Junior High School Students)を実施しました。このテストは東京都がベネッセ・コーポレーションと業務提携を結んで作成したもので、実施前から、多くの教師、研究者、保護者、市民からの懸念と問題点の指摘がありましたが、その声に耳を傾けることなく強行しました。テスト当日は「隣の生徒の解答音声が聞こえる」、「待機生徒に試験中の生徒の解答音声が単語や文のレベルではっきりと聞こえる」など、テストの公平性を損ねる事例が多発しました。
 また「出題文の一部が中学校学習指導要領を超えている」ということが明らかになりました。
 テスト問題Part A No.2では、「聞いている人に意味や内容がわかるように、英文を声に出して読んでください」という指示文の後、まとまった英文を音読します。その英文の中に、 You may have seen that there's a new tea shop next to our school. とあります。このmay have seen…「助動詞+完了形」という表現は、中学校学習指導要領にはなく、高等学校学習指導要領解説に「高等学校では、(中略)助動詞と完了形を用いた過去に関する推測の表現なども扱う」とあります。この問題は高校での学習範囲であり、「〜したかもしれない(過去への推量)」の意味の理解を中学生に求めるには無理があります。この文法を習っていなければ、「みなさんは学校の隣に新しい喫茶店があることを、わかっている(気づいている)かもしれません」という意味をとることもできず、内容がわかるような音読はできません。明らかに中学校での学習内容を逸脱しています。
 都教委はHPで中学生に向けて「ESAT-Jは、中学校学習指導要領に基づき、東京都が定めた出題方針により、出題内容を決めています。したがって、授業で学習した範囲の中から出題します」と述べていますので、明らかに約束が違います。
 疑義をもった研究者や都議らが尋ねたところ、都教委と教育長は「may, have, seenのいずれの単語も既習事項であり、意味を取ることもできる。文法を理解していなければ解答できないという内容でなく、問題があるものとは認識していない」との見解を示しました。
 この見解を聞き、信じられない思い、強い怒りが湧き上がりました。中学校では、日々の授業で、内容をよく理解して、それを相手に伝える読み方をしよう、と学習を積み重ねてきています。この都教委と都教育長の答弁は、「ただ、一語一語をそれらしく読めればいい」「文法の理解は横に置いて、話せればいい」、そして、「中学校、高校の学習範囲は関係ない」というメッセージであり、中学校の指導と生徒のこれまでの学びを否定するものです。ある中3担当の英語教員は、このような初歩的な出題ミスは考えられない、と都教委への不信感を募らせ、「何よりも、習った覚えのない文法が出てきた瞬間、どれだけの中学生が動揺したことか、、、。本当にかわいそうです」と述べています。ESAT-Jは中学生が学んできたことを発揮し、正当な評価を得て、納得できるようなテストとはほど遠く、アチーブメントテストとしても全く不適切であり、中学生の人権が守られていない点で、教育事業として不適当です。
 私たちは、東京都が中学校学習指導要領を逸脱した出題に対し、「問題ない」とした見解に対して、大いに憤りを感じています。ただちに訂正し、謝罪し、このテストを入試に使わないことを強く求めます。 都民のみなさん、中学生、教師のみなさん、全国のみなさん、ともに声を上げましょう!

<附録:都教委との架空インタビュー(最悪のシナリオ)>
 事実に基づいたフィクション

久保野:ESAT-Jの音読問題に、may have seenという表現が出てきます。これは、中学校で学習しない内容ではないですか?
都教委(以下「都」):都内で使われている教科書の一部で「助動詞+現在完了」という表現の記載があります。
久保野:New Horizonの1年次の歌Take Me Home, Country Roadsの歌詞を指しているのですね。「表現の記載がある」と言いますが歌詞は「授業で学習した範囲」とは言えません。その証拠を示します。New Horizonは、2年次でshouldが3年次でbeenを新出単語として登場します。これは、「should, beenは1年次で学習した単語ではない」という証拠ですよ。加えて、New Horizonを採択している地区は都内の3分の1未満です。都内公立中学生の7割近くは、この歌詞を目にしていません。一部の生徒以外は見たことすらない文法事項を入試に出すのは、不適切で不公平です。一部の教科書でしか使われていない内容を入試で問うのは「出題ミス」ではありませんか?
:文法を理解していなければ解答できないという内容ではないので、問題があるものとは認識していません。
久保野:2022年3月に行われた兵庫県の公立高校入試で、such as …「…のような」という熟語が出題されました。しかし、この熟語は一部の教科書にしか登場していないため「中学生が習わない熟語」と判断され「出題ミス」という結論に至りました。その結果、当該問題は受験生全員を正解扱いとしています。この前例を踏まえると、may have seenも「中学生が習わない」文法事項なので、採点対象から除外すべきではありませんか?
:may, have, beenのいずれの単語も既習事項であり、意味を取ることもできます。
久保野:may have seenの意味は取れませんよ。そもそもmay have seenは「過去に関する推量」を表すと、どうしてわかるのですか? 先ほどの歌のI should have been home yesterdayの「助動詞+完了形」は「過去に実行しなかったことに対する後悔・反省」を表しており「過去に関する推量」ではありません。
:学習指導要領では「多様な表現を扱うこと」が求められています。「どのような文法を扱うか」「小中高どの段階で扱うか」を制限する趣旨とはなっていません。
久保野:珍妙な見解です。その「趣旨」は、指導要領のどこに記載されているのですか?具体的に指摘してください。小中高の指導要領のそれぞれで扱う助動詞の種類と用法が具体的に書かれていても無視して良いという根拠を。文法事項の学年指定が30年前に撤廃されたことと混同していないですよね?
:指導要領に基づき、都が定めた出題方針で出題しています。文科省も「指導要領は最低限学ぶ内容を示したものであり、入試にどう出題するかは実施者の判断である」と説明しています。
久保野:「高校の学習事項を中学生に出題しても問題ない」と都が判断した。それが都の出題方針だと宣言したことになります。中学生に対して「授業で学習した範囲から出題する」とこれまで説明してきましたよね。今後は都立高入試に備えるために教科書に出てこない事項も「授業で扱う」ことを中学校現場に要求することになるのですよ。ことの重大性が理解出来ていますか?国数英社理すべての学力検査も同様ですよね? ESAT-Jに対してだけ指導要領の解釈を特別に変える理由はないはずですから。「都立高入試で高校の範囲も出題される」となると、中学生や中学校現場は大混乱となります。都教委が事実を直視せずに詭弁を弄し続けたことにより、どのような惨禍が引き起こされるのか。その全責任を都教委は負うことになるのですよ。そこまでの覚悟を持ってことに当たっているのですか?


(2022年12月11日掲載/12月13日更新)

 

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