英語教育はいつから 学び始めるべきか? 漫画『ドラゴン桜』の公式副読本として刊行され、シリーズ累計50万部を突破した『16歳の教科書』。 ただし、真の「教科書」を必要としているのは16歳だけではない。むしろ子を持つ親世代こそ教育に悩み、 答えを求めているはずだ。そこで今回、朝日新聞とモー二ング編集部がタッグを組み、 親世代の悩みに応えるべく『40歳の教科書』プロジェクトがスタートした。 第1回のテーマは、ズバリ「英語の早期教育」だ。 現在、全国の公立小学校で英語教育の導入が進められている。 だが、世間で語られる「英語は早いうちにやるべき」という意見は本当なのだろうか? 英語教育の現場からビジネス界まで、第一線で活躍されるスペシャリストたちに率直な意見を聞いた。 『ドラゴン桜』龍山高校特進クラス担任 桜木建二 ---------------------------- まずは日本語の 土台を固めよう  言語学者 大西泰斗さん ----------------------------  もし、「英語が話せること」だけ が人生の目的なら、当然早いに越し たことはありません。でもその子の 人生全体を考えるなら、僕は早期英 語教育に両手(もろて)を挙げて賛成すること はできません。特に、それが母語の 成長を阻害するはどの時間を費やし て行われるとすれば。  というのも、子どもの時間は有限 なんです。生きていくためのあらゆ る基盤を作る、感受性と柔軟な思考 力に富んだ子どもの時間―― 、残念 ながらそれはとても短いのです。そ の貴重な時間の多くが「たかが英 語」に割かれるとすれば、あまりに もったいない。  英語教育に対する僕の基本的スタ ンスは「英語に時間をかけるな」で す。小学校で英語にかけることが許 される時間は最少時間。もっとも大 切な内容だけを短時間で叩き込むべ きです。他の教科を圧迫することは できません。特に大切なのは国語。 日本人にとって、日本語はあらゆる 知性の基盤となるものです。英語を 勉強するにあたっても、あるいは他 の教科を勉強するにあたっても、ま ずは母語で物事を考える力が重要に なります。  実際、帰国子女の中には、日本語 も英語も中途半端な子がしばしば見 受けられます……。いったい何語で 深くものを考えたらいいのでしょう か。こうした子を公教育で量産する わけにはいきません。何よりも母 語。英語はおまけ。母語で養った十 分な知性さえあれば、英語は越えら れない壁ではないのです。  さて、僕は先ほど「たかが英語」 という言葉を使いました。  たとえば、「英語は世界共通語だ から絶対に必要だ」という認識があ ります。でも、あと20年もすれば、 英語よりも中国語が必要な時代にな るかもしれない。そのとき求められ るのは、どんな力でしょうか?  日本語力です。日本語のベースが しっかりしていたら、中国語の時代 が来ても対応できます。日本語の土 台がないまま中途半端な英語を覚え ても、中国語の時代には対応できま せん。どんな言葉が必要とされる時 代が来ようと、柔軟に対応できる知 性を磨いておくこと。これは日本語 力以外の何物でもないわけです。  だから、あまり英語に幻想を抱か ず、もっと英語が持つ実際の価値を 見極めてください。英語の価値なん て、将来は中国語に置き換わるかも しれない程度の価値であり、しょせ んツールなんですよ。  僕は英語って、日本人にとって大 きな災厄だと思っています。だっ て、もしも世界中の人が日本語を話 しているとしたら、どうなります?  僕らが英語に割いている時間や労 力を、すべてほかのことに使える。 そして実際、英米人はそんな環境で 暮らしている。スタートの時点で、 日本人は明らかなハンディがあるん です。  だからこそ、僕の結論は「英語に 時間をかけるな」であり、短期間集 中すれば効率よく英語が身につくプ ログラムを完成させるべく、日々模 索し続けています。  ただし、英語はダラダラ続ければ 身につくものではありません。短期 間ではありますが、歯を食いしばっ て勉強する必要があります。文法は 効率よく、単語は必死になって圧倒 的な語彙(ごい)を身につける。そして中高 校生とは、人生で一番「歯を食いし ばれる時期」なのです。   (談) ********************************************** おおにし・ひろと/オックスフォード大学言語研究 所客員研究員を経て、東洋学園大学教授。専門 は英語学。イメージや語感を重視した画期的な英 語教育で注目を集める。著書に『ネイティブスピー カーの英文法』など。 ********************************************** ---------------------------- 9割の日本人に 英語は要らない  株式会社インスパイア取締役ファウンダー  元・マイクロソフト株式会社(日本法人)代表取締役社長  成毛 眞さん ----------------------------  小学生のうちから英語を勉強させ るなんて、愚か者の考えですよ。  僕に言わせると9割の日本人に は英語は要らない。だって、使う 機会がないから。日本人が英語を 苦手としているのは、勉強法のせ いではなく、ただ単純に「機会」 の問題なのです。その証拠に、海 外赴任して使う必要に迫られた ら、誰でもしゃべれるようになり ますよ。ちなみに、ここでの9割 とは非エリートという意味ではな く、純粋に職種の問題です。本当 に英語が必要となる職種は、全体 の1割程度しかないのです。  英語ができないと就職に不利と いう話も正しくないですね。英語 なんて海外に出たらすぐに覚える と知っている大企業や中小企業で は、ほとんど英語力は問われませ ん。最も英語が必要とされる総合 商社でさえ、英語力を重視した採 用は全体の3割程度です。ただ し、この3割は超エキスパート。 中途半端な英語力を求めているの は、海外進出の意味がよくわかっ ていない企業なので、無視して構 わないでもよう。  また、外資系企業で働くには英 語が必要だといわれますが、外資 系で本当の英語が必要になるのは トップの3%くらいで、残りの 97%には英語力なんて求められま せん。僕のいたマイクロソフト も、部長レベルまではみんな英語 が下手でした。だって日本で商売 するために雇っているわけで、海 外転勤の可能性が一番低いのが外 資系ですから。  もうひとつ指摘しておきたいの は、日本の翻訳文化ですね。日本 は世界でも屈指の翻訳文化を持っ た国です。海外の面白い本は大抵 翻訳されているし、翻訳者のレベ ルが非常に高い。海外ドラマも字 幕・アフレコになるし、ニュース だって同時通訳放送がある。翻訳 文化が未成熟なら英語が使えるア ドバンテージもありますが、いま ドバンテージもありますが、いま の日本はそれがないのです。  じゃあ、「英語を使う1割のた めに教育全体を変えてしまうの か?」という議論になりますね。 そんな時間があるんだったら水泳 でも教えるべきだ、というのが僕 の意見です。だって、溺(おぼ)れたら死ん じゃうわけですから。英語ができな くても死なないんですよ。 (談) ********************************************** なるけ・まこと/1991年にマイクロソフト(株)旧 本法人)代表取締役社長に就任。2000年に退 社後、投資コンサルティング会社(株)インスパイ アを設立。無類の読書好きとして知られ、『大人げ ない大人になれ!』など著書多数。 ********************************************** ---------------------------- 子どもを カタカナ英語に 染めないで  タレント/テレビプロデューサー  デーブ・スペクターさん ----------------------------  僕は子どものうちから英語に触れることには賛成ですね。な かなか言いにくいことなのですが、日本人の英語はとにかく聞 きづらい。世界で一番発音が悪いといってもいいくらい。なぜ かといえば、カタカナで覚えるからです。日本語の50音では英 語の発音を正確に表記できない。それを強引に表記して、カタ カナを頼りに覚えるから発音がおかしくなる。文法はしっかり しているのに、すごくもったいないですね。  そして発音がおかしいと、外国人に聞き返されたりするで しょ? こうなると日本人は恥ずかしくなって、もう自分から しゃべろうという気がなくなってしまう。しゃべらなきゃうま くならないのにね。発音の悪さが、積極的に英語を使おうとす る姿勢にまで影響しちゃうんですよ。だから、頭でっかちにカ タカナで覚えようとする前に、幼稚園とか小学生のころから英 語に触れておくのはいいことだと思いますよ。子どもは音に敏 感だし、大人みたいに照れたりしないし。  ただ気をつけてほしいのは、どんな先生から教わるか。先生 がカタカナ英語の達人だったら意味がないので、できるだけネ イティブの外国人とか、あるいは海外ドラマのDVDを利用する などして、本物の発音に触れてほしいですね。    (談) ********************************************** シカゴ出身。10代の頃から独学で日本語を学び、アメリカの日本語弁論大会で 2年連続優勝。 1983年、米国ABC放送のプロデューサーとして来日。著書に 『僕はこうして日本語を覚えた』など。 ********************************************** ---------------------------- 変えるべきなのは 学校より親の意識  立教大学教授 鳥飼玖美子さん ----------------------------  英語は小さいころから始めたほう がいい、という意見は科学的根拠が あるわけではありませんが、一般に 受け入れられやすい説でしょう。い まの親御さんたちは、自分が受けた 英語教育に恨みを持っている人が多 く、「自分ももっと早くから英語を やっていれば身についたのに!」と いう思いがあるのだと思います。  しかし、少なくとも導入されつつ ある小学校英語は百害あって一利な し、というのが私の意見です。  現在、ほとんどの公立小学校が新 学習指導要額を前倒しして英語活動 を導入しています。しかし、これは  「教科」ではありません。小学5・ 6年生に対し、週1時間の「外国語 活動」、つまり英語活動が実施され るのです。教科でないため専門の教 員はつかず、教科書もありません。  「英語ノート」と呼ばれる補助教材 が用意されているだけです。  しかも教えるのは英語の専門家で はない担任の先生。算数を教えて、 体育を教えて、はい次は英語の時間  ね、というわけです。実際に現場の 先生方も困り果てでいます。  それでは、小学校英語にどれくら いの効果があるのか、実証的に示し たデータはないのでしょうか?  このことに関して、しばしば引用 される調査結果があります。  ある機関で、小学校で英語を学ん だ中高生とそうでない中高生、84 9人の英語力を調査したのですが、  「発音」「知識」「運用力」のいず れも、両者に目立った差がないとの 結果が出ているのです。小学校で英 語を学んでも、ほとんど効果がない 可能性があるんですね。  私は早期の英語教育に意味がある と思いませんが、各家庭の方針に口 を挟むつもりはありません。  私が問題にしているのは公立小学 校で英語を教えようとしていること です。公立小学校の5、6年生を対 象にするとなると、全国で8万学級 を超えます。そこで英語を教えてい こうとするなら、相当に綿密なカリ キュラムと準備期間、人材確保が必 要になります。ところがいまはそん なことを抜きに英語活動が進めら れようとしています。  しかも小学校から中学校って、 教科の好き嫌いが「先生の好き嫌 い」と結びつくんですよね。先生 の影響はとても大きい。英語が好 きな先生が教えてあげないと、子 どもたちが英語を嫌いになる可能 性も非常に高いのです。  また、中学生のいる方は、お子さ んの英語の教科書をしっかり読んで みてください。たぷんびっくりされ ますよ。会話文ばかりで読み物に なっていなくて、文法を学ぶ場面が ほとんどない。英語という言語の体 系的な仕組みを学ぶ機会がないま ま、義務教育を終えているのです。 ところが、いまだに多くの大人たち は「日本の英語教育は読み書き文法 ばっかりでダメだ」と思い込んでい ます。自分たちの受けた教育を基準 に考えているんですね。  だから自分が英語が苦手であって も決して学校に任せきりにせず、む しろお子さんと一緒に勉強していく くらいの意識を持ってほしいと思い ます。英語への取り組みは何歳に なってからでも間に合うのですか ら。          (談) ********************************************** とりかい・くみこ/サウサンプトン大学博士課程 修了(Ph.D.)。同時通訳者を経て現在、立教大 学教授。専門は通訳翻訳論、言語コミュニケー ション論。NHK「ニュースで英会話」の監修、講師 を担当。著書に「危うし! 小学校英語」。 ********************************************** 親の思いが後押しする早期英語教育  朝日新聞出版アエラ編集部が実施した、小さな子どもを持つ親へのアンケートでは、「英 語を教えるのはいつかうがいいか」との問いに対して、34%の人が「3歳未満」、39%の人が 「3〜6歳(未就学)」と答えている。さらに「小学校低学年」(14%) 、「小学校高学年」 (5%) といった答えを加えると、92%の親が小学生以前から英語を教えたほうがいいと考えている。 現在、導入されつつある小学校英語は、まさにこのような親の思いに後押しされて始まったも のといえるだろう。面白いのは、「子どもにどの程度まで英語を学んで欲しいか」との問いには、 約6割が「日常会話ができる程度」と答えていること。今回、話を開いた英語の達人はみな、 「日常会話程度なら、特別早く英語を学ぶ必要はない」と語っているのだが…。 【どの程度まで英語を学んで欲しいですか?】 日常会話ができる 58% ビジネスで使える 13% 海外旅行ができる 12% ほほバイリンガル 10% 知っているという程度 4% 【英語を教えるのはいつからがいいですか?】 3才未満 34% 3〜6歳(未就学) 39%、 小学校低学年 14% 小学校高学年 5% 中学校 4% わからない 5% -------------------------- アエラ編集部がマクロミル 社に依頼し、ネットリサーチ で、 35歳以下で子どもをも つ男性155人、女性155 人から回答を得た。小数 点以下を四捨五入してい るため、合計は必ずしも 100%にはならない。 --------------------------