■ 埼玉新英研2月例会

2007年2月
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2月6月9月12月
 埼玉新英研2月例会がもたれました。荒井さんから「だれでもできる自己表現(中学2年)」、笹田さんから「クリティカルに英語を学ぶ」の報告がなされました。

実践報告1・「だれでもできる自己表現(中学2年)」

 荒井さんは、ずっと自己表現にとりくまれていて、今回は5行詩のとりくみについて報告されました。
  中学二年生は、生活上、いろいろ課題のある年令なので、4月に自己紹介とShow and Tell, 6月に日記、夏休み英文日記、9月にMy Deram、2月に5行詩と、自己表現にとりくんでいる。普段の授業は教科書をやるのがせいいっぱいで、いずれも一時間かけておこない、機会をみて発表し合う。その際、聞いている者にワークシートを持たせる工夫をしている。
 とりくむのに多様なサンプルを示した方がよい、形容詞を学ぶことでイメージがひろがるとの意見があった。一人でとりくむと負担なので、仲間ととりくんだらどうか、放課後時間をとることもなかなかできないので、授業のなかで個別指導がするようにすると、苦手な者も完成させることができるとのこと。なによりもこころの交流ができるのがよい。

実践報告2・「クリティカルに英語を学ぶ」

 笹田さんは、帰国生のための高校で教えているとのこと、選択の授業がほとんどで、生徒さんとたがいに意見をかわする授業をしている。そのためには、どのようなことを、どのように、どんな教材で学びたいか、だしあって、スタートをする。
  一般にいわゆる帰国生のイメージとはちがい、複雑な帰国生の様子もまじえ、英語ができればよい、という風潮にたいして、反省的になる問いかけをいただいた。英語によって世界の人びとがコミュニケーションができるというのは神話で、世界の各地のパワーをもっているエリートのみがコミュニケーションできるにすぎない。英語が人びとの格差を生んでいるという実態があり、小学校から英語をというのは、まさに格差を助長することになる。言語は経験のうえにあり、子どもたちが学校と家の往復ではなく、多様な経験が大切、より多様な外国語を学校で教えるべきという主張も傾聴に値する。

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(連絡先:浅川和也)
(2007年5月14日)