■ 東京新英研春の特別研究集会2004
2004年3月
 恒例の春の東京祭りを東大附属中等教育学校で行った。参加者は50名。
 午前中の総会は、初代東京新英研支部長で現在「東京大空襲戦災資料センター友の会」代表世話人の吉川晃さんのごあいさつで開会。今年も下準備をよく行った常任委員会(13回)例会、元気塾、笑顔塾などで学んだことなどの発言があった。

■ 『Peace 屋台』

 続いて平和教材や実践報告を行う『Peace 屋台』コーナー。20分3ラウンドで、見てまわり、実践を聴き、おみやげをゲット。
その1) ベトナム、イラクと縦横無尽に展開する福島さんのピースパック。
その2) 細かい手立てで、自己表現!作品も見事な関口守義さんのお店。
その3) 驚異の英語通信「友&愛」手づくり教材の荒木好枝さんの店。
その4) 「地球の仲間たち」を授業・選択・総合で。実演販売の伊東さんの店。
その5) シャーロットからの手紙を高校生と読んだ山口浩一さんの店。
その6) 「サダコ」を語ったらもう止まらない、阿原成光さんの店。

■「今、なぜ東京大空襲を教材化するのか!」

 そして午後の部は「今、なぜ東京大空襲を教材化するのか!」を語る平野さんの口上でスタート。語り部さんの高齢化、現在の世界情勢、東京の教育の卒業式問題など、今こそ!の思いを強くした。

■講演「こどもと戦争」 〜ひとりの戦災孤児のあしあと〜

 ビデオ「東京大空襲」<NHK 25分>を視聴し、いよいよ10歳のとき空襲にあった元木キサ子さん講演「こどもと戦争」 〜ひとりの戦災孤児のあしあと〜
     「夜の記憶」 
涙泣けるのは まだ 悲しみの入口
叫び声がでるのは まだ 絶望の入り口
身震い動けるのは まだ 恐怖の入り口
人間が砕かれ 白熱して 燃え尽きる
それが 大空襲の夜だった

(『赤い涙』 村岡 信明)

 「ありえないこと、かんがえられないことが起きるのが戦争」太平洋戦争とは何だったのか、戦争前のしあわせだったキサ子さんの生活。
 アメリカで生活し、帰国してセツルメントを開いたお父さんの話。そして、3月10日、大空襲の2時間半。一平方メートルに3発、じゅうたん爆撃の焼夷弾。100万人が被災し、10万人が焼死し、11万人がケガを負った一夜。10歳の少女が見たものは、、、、。
 survivor 元木さんは淡々と声を抑え、つぶさに記憶を語った。
 ルーズリーフ数十ページにまとめられたこの日のための講演資料を手に。元木さんが語り部として、この話ができるようになるのに50年かかったという。戦災孤児となった元木さんが家族を失い、どうやっていきてきたか、どんな思いで戦後を暮らしてきたか、戦争のトラウマは長い間、元木さんを苦しめた。

■「東京大空襲」教材作りワークショップ

 「東京大空襲」教材作りワークショップ
0. 「Peace 屋台」に学ぶ「平和教材」作成のポイントをペアで10個!
1. 「東京大空襲」の教材で伝えたいこと、印象に残った事実(グループ)
2. 英語教材づくりへのステップ (グループ)
☆形式は?(会話・日記・物語、スピーチなど)
☆言語材料は?
☆授業の展開例
 以上について、発表、共有をしながら、すすめた。東大附属の図書館から30冊以上の関係書籍を借り、資料とした。5つのグループが模造紙に授業案をまとめ、発表した。短い時間でしたが元木さんのお話に触発され、ポイントをしぼったいいグループワークが展開された。
☆今後の課題として、
(1)人物を取り上げる場合、事実に基づき、本人も納得の行くものに。
(2)世界の現実とつながり、未来志向のものに。
(3)もっと事実、物語を発掘すること。
(4)来年60周年を目標に、さらに具体的に各地で教材化を進めよう。
 大切なことなので、ゆっくりでもしっかりやっていきます。応援してください!

(文責:柏村)
(連絡先:平野寿美)
(2004年11月21日)